それは、10代半ばの頃に映画で観た社交ダンスのシーンでした。
タイトルや俳優の名前も覚えていませんが、その美しいダンスシーンだけは、ずっと私の心に残っています。
ただ実際に私がダンスに取り組み始めたのは、30歳になってからのこと。
よくある町の公民館で行うサークル活動だったのですが、そこから私の社交ダンス人生はスタートしたのです。しかし初めはステップなどについていけず、1ヶ月で辞めようかと考えることも。それでもまずは社交ダンスを覚えたいという一念で、結局そのサークルには5年ほどいることになりました。
そうしてダンスが徐々に上手くなるにつれ、もっと技を覚えたい、今のままでは物足りないと感じるようになり、個人レッスンや、有名な先生に教わるために都内にも出るようになりました。
こうした努力で確かにスキルアップはでき、プロも視野に入れて活動しましたが、同時に大きな壁ができたのもこの頃でした。
そんな問いかけに対する私の答えが変わったのも、その頃です。それまでは技術を磨き、高度な技を駆使して競技会で成績を残すことばかりを考えていました。
元来の物事にのめり込む性格もあって、そうした自己満足の世界にはまり、ダンスが楽しくなくなっていたのです。
加えて自分の実力にも限界を感じ、再び千葉に拠点を戻して独立したのが平成元年のころでした。本来であれば自分でスクールを立ち上げ運営していくのは、ダンスに対して新たなエネルギーの生まれる大きな機会でした。しかし私の中で実はまだ受け止めきれていなかったその壁、つまりプロへの執着や技術へのこだわりなどが残ってしまい、ダンスへの情熱が徐々に薄れていったのです。
技術を磨くのはもちろんですが、それだけでは誰もが満足することはできません。競技の世界だけではなく、多くの人がダンス自体で解放され、健康に楽しくダンスに触れられる機会を得られることを求めているのです。
それを忘れてしまえば、当然ですがスクールから人は離れていきます。私のスクールでも徐々に人数は減り、スクールを閉じてダンス自体を辞めることも考えました。しかし長年支えてくれた妻が、ダンスに対する「心のあり方」を見直させてくれ、社交ダンス業界が低迷している今こそが、むしろチャンスだと気づくことができました。
もともと私は人前に出たがりの性格ではありませんでした。しかしダンスの魅力を人に伝える際、上手でなくても自信をもって堂々と踊ること。それがダンスの楽しさを伝える一番の近道だと気がついたのです。
60歳を超えた今、スキルに走ることなく等身大の自分自身を見つめ、少しでもかっこよく、楽しむ。そうすることで、人々に充実感や喜びを少しでも伝えていきたいと思います。そうして周囲が生き生きとすることで地域が元気になり、ダンスの価値そのものが見直されてくるものと信じています。
私はいま、ダンサーならぬ「ガン(顔)サー」として、表現力で人に感動を伝えるダンスを追求しています。楽しいダンスは自分に自信をつけ、毎日が健康的になり、若々しさの原点になっています。皆様のこれからの人生で、ダンスが新しい扉を開くカギとなれるよう、お手伝いさせていただきます。